<湯水のように使う’という言葉はウィキペデアによると江戸時代に茶道の点前で茶道具を清めるために大量の湯水を使うことに由来する。金銭をあるにまかせて乱費するの例えでもあり日本はかつて水と安全はタダと言われ水は非常に安価または無料の代名詞だった。という。それが今の2015年において水は非常に高くしかも節水という言葉すら創られている。表裏一体論なら昔も今と同じという論理のくせに益々低能バカになっている。昔よりもゼロ以下にしているということだ。何が先祖供養だ。恥を知れ。しかも湯水といっているなら水を湯にするエネルギーすらタダ同然だったということだろう。それなのにエネルギーと水で儲けようとするから支離滅裂な世の中を創っている。水、電気を含むエネルギーをケチるような世の中で人間の成長などない。
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