仏陀もイエスもこの低能極まる表裏一体論=善悪二元論の大国主に利用され主人と奴隷の関係を正当化させられ悪を償わない者を許させ人々の良心は病み苦しめられている。好き勝手な感情でしか物事の判断が出来ない低能なサイコパス大国主が霊力と金で人々を圧し、そしてあたかもそれが神であるように祀る人達。なぜこれらがこの世で罰せられないのか。釈迦はなぜ汚名を着せられたままで何もしなのか?イエスもしかり。私の考えではそれは人間の向上によって人々の良心が崇めて神的な存在となったからだ。神的な昇格はおそらく正神と共に有り人間として生まれる事はないのだ。悪しき者どもを自業自得の地獄と来世で償わせると言う事で納得しているのかもしれない。瀬織津姫の場合は約束として生まれる事を引き受けさせられた。この汚い世の中に。つまりイエスや釈迦は人間が神的存在となったとは逆で神的存在の瀬織津姫が持つ全ての神的な美、才能を神に預けさせられ神隠しの子供として悪=大国主=インドのシヴァ=偽りのイエスキリストとそれとつるむ者どもに見つからないようにしかもこの世の悪を知るための苦しみの生を生きさせられこれらの悪を暴くためと悪に摂理を教えるために生まれさせられた。この仕事は不毛地帯に種を撒くような報いの無い、意味すら無い仕事と思わされる。なぜならサイコパスの大国主の劣化脳には理解出来ていない。こんな仕事を引き受けるべきではなかった。このまま私を怒らせたままで改心、償い、謝罪すら無いなら私の怒りでお前らの逝く自業自得の地獄を自乗してやる。私は今はただの人間でもあの世では神的存在なのだ。
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