ビル・ゲイツが会いたがった男 アーミル・カーンとは何者か?
カーンが演じた主人公のランチョーは、あらゆる固定観念に挑戦する学校の“異端児”だ。競争重視の学長に反発し、成績より学ぶ理由にこだわる。世間体より自分の信念に忠実で、友人のために苦労を惜しまない。「自分は何をしたいのか。何ができるのか」。常に問い続けるランチョーの姿は、カーンの生き様に共通するものがある。
カーンが社会問題への発言を強めたのは、インドが高度成長期に差しかかった10年ほど前からという。2001年の主演作『ラガーン』の舞台は、英国支配下のインド。干ばつに苦しむ農民たちが、英国人相手にクリケットの試合に挑み、税の軽減を勝ち取るというストーリーだ。その後の監督デビュー作『Taare Zameen Par』(07)は、学習障害のある子どもを主人公に、理想的な教育のあり方を探った。
さらにその姿勢が鮮明になったのは、12年に放送されたテレビのトークショー「Satyamev Jayate(真実のみが勝つ)」だろう。インドの国是をタイトルにした番組を、カーンは自ら企画して司会。番組では女児堕胎、子どもへの性的虐待、高額な結婚持参金、医療過誤、家庭内暴力、カースト差別、アルコール依存症……人々が触れたくない社会のタブーにあえて切り込んだ。
例えば女児堕胎を取り上げた回を観てみよう。男児を妊娠しないため、夫に何度も中絶を強いられ暴力をふるわれた女性がスタジオに登場。カーンは彼女の言葉に耳を傾け、過酷な半生に時折涙を見せた。
いまも男尊女卑思想が強いとされるインド。経済成長による急激な社会変化を受け、女性が被害者になる刑事事件が増えている。首都ニューデリーでは、昨年12月に帰宅途中の女子学生がバスの車内で複数の男に暴行・強姦され、道端に放置されて死亡した。カーンはメディアの取材に答え「厳罰を望む。自分たちの犯罪から逃れられないことを、人々は知らなければならない。女性が力をもたない限り、国の発展もありえない」と発言した。
しかし一方で、社会的発言を強めるカーンに疑問を呈する声もある。なぜ俳優業に専念しないのか。夢を見せる職業なのに、社会の暗部を暴く必要はない、といった意見だ。ゲイツとの対談でも司会者が聞いた。「俳優の枠にとどまらず、あなたを第2の道ともいえる社会活動に駆り立てるものはなんですか?」。カーンは天井を見上げ、言葉を探しつつ答えた。
「ぼくにもよくわからないんだ。ただ、『誰かのために何かをする』ことが目的ではなく、自分の善意で、自分のために何かをする。そうすれば必ず誰かのためになると思う。ぼくはとても恵まれた立場にいるが、そうではない人々と心を通わせ、できれば助けたい。自分の可能性を最大限に生かすことで、ぼく自身も満たされるんだ」
「(作曲した)『ラガーン』のテーマを聴かせたとき、彼は目を潤ませながら言った。『何てすごい曲なんだ。ぼくの映画はもう完成したも同然だよ!』って。まるで子どものように純真に。彼は自分の魅力を、苦い薬として観客に与える。ぼくらは何かにとりつかれたように、不満も言わずに飲んでしまう。アーミルの魔法だよ。彼は動き始めたんだ。インド人の人生を変えるためにねhttp://sankei.jp.msn.com/wired/news/130710/wir13071016000002-n2.htm何カッコ付けてんだか。
私の言葉で話しながら結局自分の悪しき感情論で終わらせるいつものやり方。
ムナクソ悪い!
”彼は自分の魅力を、苦い薬として観客に与える。ぼくらは何かにとりつかれたように、不満も言わずに飲んでしまう。アーミルの魔法だよ。彼は動き始めたんだ。インド人の人生を変えるためにね”だって。
いつもの支離滅裂だ。
お前に告ぐ、
きっとうまくいかない!
とりつかれたように不満も言わず飲み込んではならない。瀬織津姫より。
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