2014年12月16日火曜日

”触ってはならない”

”触ってはならない”。これはイエスキリストは人間として二度と生まれてくることはないという意味を表している。人間には煩悩がありそれは罪ではない。煩悩がなければ人間ではない。煩悩とは全ての欲望の事で欲望の全てが悪いのではない。あたりまえだ。悪い欲望とは執着欲であり自分と人を損なう、ゼロにする事をいう。この悪しき欲望があればそれと葛藤し昇華しながらより良き人間になるために生きていくバックボーンであるべき宗教が罪を犯してもイエスに祈れば許されると教える。間違って罪を犯せば許されると思う前に償いなさいと言うべきだ。それがまっとうな正常な精神のあり方だ。。。そうでしょう。良い人であればあるほど悪を守るために創られた善悪二元論=表裏一体論が宗教として”善だけであるはずの神”に悪がすり替わり悪と偽善の執着をさせる偽善者としてしか生きられないので鬱になるのだ。これもプリースト、神官の悩みとして歴史が証明しているる。正神は煩悩など持たない。だから人間が神に触ってはならないのだ。イエスキリストが真の神となられたならば人間の姿をしていることはない。人間の姿をしていれば天使だろうが、瀬織津姫だろうが、マグダラのマリアだろうが必ず煩悩を持っている。神がーー ”ハーイ、私が神です”などと言って人の前に現れることなどない。爆笑。人間として生まれながら馬鹿でも使える神の力に似ただけで全く違う悪をすることでしか使えない霊力を使い神ズラしている大国主カルト陰陽ゴーストライターをイエスはどう対処するのか。真の神になられたならば神の力を示したまえ。

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