そもそもキリスト教が善悪二言論=表裏一体論であるか、ないかを問うより問題はイエスの許しが悪と偽善の執着を生んだというが真理であることを知る。悪人を許すことが諸悪の根源である悪魔を蔓延らせている。悪をぬくぬくと生きさせた。私のこの忌まわしい生はこの血のつながりのない真っ赤な他人の大国主=偽りのイエスキリスト=シヴァであるゴーストライターが勝手に私の家に霊力で居座り出て行けと言っても出て行かない。伊勢白山道が私を見つけ2008年から続く。その上私を自らの利益にするために盗みその上思い通りにならない私にありとあらゆる陰湿な厭がらせを止めないのだ。それは家にゴミを落とすという品のかけらも無いことと車に細工をさせるという犯罪、仕事場のハラスメント等々が同じレベルで人格異常者の感情を人によって行わせる。このブログも隠され文を変にされている。それでも書かずにはいられない。それは良き精霊と正神に訴えるためでもある。こんなものが裁かれないのはイエスの許しを肯定している世の中だからだと思わないか。私は絶対にこの低能猿を許さない。捏造ではなく本当にイエスキリストが悪を許せと言ったのなら悪を認めるということになりしかしそれでは宗教上無理があり見かけも良くない故、悪を偽善で言い繕うようになる。詰まり悪と偽善の執着、成長の無い表裏一体論=善悪二元論だということになる。罪を犯して神に祈ると許されるいう馬鹿げた論理では人はいつまでも動物と同じであり表裏一体論=善悪二元論の動物生に引き下げられる。
0 件のコメント:
コメントを投稿